年次別データベース
第一期(1945~51年)
| 発表 | 曲名 | 作詞者 | 作曲者 |
| 1946.2 | 鬼の哭く | 桑名茗車 | 木野普見雄 |
| 1946.2 | 独り息づく | 桑名茗車 | 木野普見雄 |
| 1946.6 | 原子爆弾に寄せる譜 | 山田耕筰 | |
| 1946.8 | 歌謡ひろしま | 山本紀代子 | 古関裕而 |
| 1946 | 長崎復興音頭 | 大串邦雄 | 木野普見雄 |
| 1946 | 広島復興音頭 | 村山洋 (補作:葛原しげる) | 岩田真次 |
| 1946 | 平和広島 | 島原帆山 | |
| 1947.8 | 永久に生きむ | 島内八郎 | 木野普見雄 |
| 1947.8 | ひろしま平和の歌 | 重園贇雄 | 山本秀 |
| 1947.8 | ああ学徒群 | 須田伊波穂 | 木野普見雄 |
| 1947.8 | 憶うこと | 有富星葉 | 木野普見雄 |
| 1947.8 | 新天地・平和音頭 | 不詳 | 不詳 |
| 1948.8 | ヒロシマの歌 | 大木惇夫 | 乗松昭博 |
| 1948.8 | 基町音頭 | 益井昭夫 | 山本寿 |
| 1948 | 新ひろしま音頭 | 粟村純造 | 不詳 |
| 1948 | 夏雲 | 島内八郎 | 木野普見雄 |
| 1948 | 鳩と虹 | 大木惇夫 | 山田耕筰 |
| 1948 | 広島復興の歌 | 藤井啓市 | 山本寿 |
| 1948 | 復興小唄 | 木下春男 | 不詳 |
| 1948 | 平和を讃える三つの歌 | 湯川秀樹・斉藤茂吉・永井隆 | 山田耕筰 |
| 1949.5 | しらゆりおとめ | 永井隆 | 木野普見雄 |
| 1949.7 | 長崎の鐘 | サトウハチロー | 古関裕而 |
| 1949.8 | ヒロシマ | エドモンド・ブランデン (訳:寿岳文章) | 山田耕筰 |
| 1949.8 | ヒロシマ平和都市の歌 | 大木惇夫 | 山田耕筰 |
| 1949.8 | 平和の誓 | 島内八郎 | 木野普見雄 |
| 1949.8 | 平和は長崎から | 島内八郎 | 木野普見雄 |
| 1949.10 | 武器ウギ | 三木鶏朗 | 三木鶏朗 |
| 1949.11 | あの子 | 永井隆 | 木野普見雄 |
| 1949.11 | 交響曲第2番「ヒロシマ」 | エルッキ・アールトネン | |
| 1949.12 | 南天の花 | 永井隆 | 山田耕筰 |
| 1949 | 新長崎音頭・ばってん音頭 | 宮村有人 | 木野普見雄 |
| 1949 | 新長崎文化音頭 | 編:長崎市学務課 | 木野普見雄 |
| 1949 | 復興の歌 | 植田鈴子 | 木野普見雄 |
| 1950.9 | 水の精へのセレナーデ | 大澤壽人 | |
| 1950 | 広島ヤッサ | 吉田文五 | 不詳 |
| 1951.5 | しろばらの | 永井隆 | 山田耕筰 |
| 1951.8 | 子らのみ魂よ | 島内八郎 | 木野普見雄 |
| 1951.8 | 長崎の十字架 | 渡辺春夫 | 坂田敬一 |
| 1951.11 | 交響詩「広島」 | 木下夕爾 | 宮原禎次 |
| 1951.11 | 遠き日の | 原民喜 | 團伊玖磨 |
| 1951 | ああ此の涙をいかにせん | サトウハチロー | 古関裕而 |
| 1951 | 本曲「平和の山河」 | 中尾都山 |
- 関連トピック
広島・長崎に原爆投下(1945.8)
GHQ(連合国軍総司令部)プレスコード発令(1945.9)
広島・長崎に白血病患者出はじめる(1946.5)
米、ビキニ環礁で原爆実験(1946.7)
米国学士院=米国学術会議の原子爆弾調査委員会が広島日赤病院で被爆者の調査始める(1946.11)
日本国憲法施行(1947.5)
広島市で第1回平和祭(1947.8)
天皇広島を訪問(1947.12)
被爆3周年「ノーモアヒロシマズ」「世界平和は広島から」のプラカードを掲げ広島市民が市内をデモ行進(1948.8)
大田洋子『屍の町』占領軍の検閲で一部削除(1948.11)
極東国際軍事裁判、東条英機ら7人に絞首刑(1948.12)
パリとプラハで第1回平和擁護世界大会(1949.4)
長崎で被爆した医学博士永井隆の病床記録『長崎の鐘』が話題になる(1949.5)
天皇長崎を訪問(1949.5)
広島平和記念都市建設法公布(1949.8)
長崎国際文化都市建設法公布(1949.8)
ソ連原爆実験(1949.8)
湯川秀樹ノーベル賞受賞(1949.11)
丸木位里・赤松俊子連作「原爆の図」発表(1950.2)
第4回平和祭中止(1950.8)
原民喜自殺45歳(1951.3)
広島原爆被害者更生会結成(1951.8)
峠三吉『原爆歌集』刊行(1951.9)
日米安全保障条約調印(1951.9)
- 概要(『ヒロシマと音楽』から)
被爆直後から1951年までを第一期とする。何故なら1952年に対日講和条約が発効して、日本は一応独立することになり、政治的に一つの節目を迎えるからである。それまでの占領期間中、プレスコードの名の下に、アメリカ占領軍は原爆の被害を日本国民にできるだけ知らせないように努めたと言われている。「原爆」は禁句だったとも言われている。したがって、音を介する表現分野にも大きな拘束力を持ったであろうことは想像に難くない。そのような中、1945年の11月に、長崎で被爆した木野普見雄が、早くも〈独り息づく〉という歌曲を作曲している。この曲が、今のところ広島と長崎を通して初めての原爆音楽といえるだろう。木野氏はその後も精力的に長崎をテーマにした曲を15曲ほど作曲している。
翌1946年からは、広島市や地元の報道機関などが中心となって、いち早く復興や平和をテーマにした歌詞の募集を始めている。広島市は当選者二人(藤井啓市、吉井清雄)による「復興の歌」の作曲を専門家(紙恭輔、渡邉弥蔵)に依頼し、市民の意欲高揚に努めている。地元の中国新聞社が被爆一周年を記念して募集した「歌謡ひろしま」は、復興の意欲に燃える老若男女の市民に愛唱されることを願って、8月9日付の同紙に楽譜付きで発表された(山本紀代子作詞、古関裕而作曲)。また、中国新聞社と日本文化平和協会の主催による「平和の歌」懸賞募集には、全国各地から一万二千通余りの応募があり、一等入選作「空はばら色明け渡る」(丸山静作詞)が、1948年8月、「平和の歌発表音楽会」で華やかに披露されている。1949年には、広島県教育委員会も、「広島復興音頭」を選定している。これらの歌が当時どれだけ人びとの間で歌われたかは定かではないが、音楽が窮地にあえぐ市民の心を少なからず潤し、力づけたことには間違いないだろう。
一方、被爆翌年の夏には、供養盆踊り大会や英豪軍軍楽隊による激励と慰安の演奏会など開かれているが、1947年からは8月6日に平和祭の式典が挙行されている。1947年には広島平和祭協会が設立され、同協会が公募した「平和の歌」の歌詞の中から重園贅雄の入選が決まり、その作曲を山本秀が担当した。〈平和の歌〉は同年の平和祭式典の中で市内男女生徒により合唱されたが、その後今日に至るまで、広島を代表する歌として人々の間に広く歌い継がれている。1948年の式典では〈ヒロシマの歌〉(大木惇夫作詞、乗松昭博作曲)が発表され、1949年には、〈ヒロシマに寄する歌〉(エドモンド・ブランデン作詞、寿岳文章訳、山田耕筰作曲)と、〈広島平和都市の歌〉(大木惇夫作詞、山田耕筰作曲)がいずれも発表された。これらの歌は、広島平和祭協会が主催する「平和音楽会」でも演奏されている。焦土と化した広島で音楽が早くも産声をあげた背景には、当時の浜井信三広島市長の並々ならぬ努力があったことは余り知られていない。浜井市長は、1948年の平和祭では騒々しい行事は一切取りやめ、文化に恵まれない市民への贈り物として、音楽会と美術展の二本に絞って行事を企画したという。これらの活動が刺激となって、次第に広島の地に文化活動が根づいていくことになる。
この第一期の6年間には、約20曲余りの原爆音楽が個人の手によって書かれているが、中でも作曲家として名高い山田耕筰が広島に想いをよせ、五曲も作品を残しているのが注目される。その中の一曲〈原子爆弾に寄せる譜〉は、早くも1946年に作曲され、地元の葉室潔によりバレエに振付け発表された。
原爆が日本を代表する音楽家、山田耕筰の心を捉えたものは何であったのか。『山田耕筰全集』を紐解いてみると、楽譜の合間に同氏のエッセイが挿入され、それらの作品の創作動機を知ることができる。
「終戦の秋の暮れであった。私は中国から九州一円にわたる演奏の旅を続けた。その時、私は原爆に壊滅した二つの町をみた。それは地獄の絵図そのままの身の毛もよだつ風景であった。その強烈きわまる印象に激しくも撃たれた私は何とも言い表し得ぬ気に圧されて、3年の歳月をただ無為に過ごして来たのである。しかし私の胸に蒔かれた感銘の種は、知らぬ間に新しい創作の芽生えとなって私の心に蘇生した。(以下略)」 (後藤暢子編『山田耕筰全集』第九巻 春秋社、1989年、14頁)
1946年6月27日付の中国新聞紙上には、「楽譜に躍る悪夢の再現」という見出しで、〈原子爆弾に寄せる譜〉を作曲した経緯が紹介されている。「いたましい犠牲者の音楽法要をするとともに、世界的文化都市として復興にあたっている市民に対する激励ともしたい。」という同氏の想いは、心あたたまる贈り物として広島市民の心に届いたに違いない。同じような想いは、詩人西条八十の胸中をも動かしたようで、1951年2月9日付の同紙上には、広島の歌を作詞するため広島を訪れた同氏の意気込みが報じられている。
この時期には、ほかに合唱曲〈遠き日の〉(原民喜作詞、團伊玖磨作曲)、交響詩〈広島〉(木下夕爾作詞、宮原禎次作曲)、などがあるが、いずれも悲惨な原爆体験を訴えるものである。後者の演奏を担当したのは広島放送管弦楽団であるが、広島放送合唱団とともに、地元のNHK広島中央放送局が果たした役割はきわめて大きい。
第二期(1952~63年)
| 発表 | 曲名 | 作詞者 | 作曲者 |
| 1952.9 | ノー・モア・ヒロシマズ | 陶野重雄 | |
| 1953.2 | ほほえみよ還れ | 佐古美智子 | 小林三千雄 |
| 1953.5 | 原爆乙女の歌 | 島内八郎 | 木野普見雄 |
| 1953.5 | カンタータ「長崎」 | 持田勝穂 | 森脇憲三 |
| 1953.8 | ああ広島の鐘は鳴る | 鈴木政輝 | 吉田正 |
| 1953.8 | 川の華鬘 | 米田栄作 | 星出敏一 |
| 1953.8 | 平和おどり | 西岡水朗 | 木野普見雄 |
| 1953.10 | 映画『ひろしま』テーマ音楽 | 伊福部昭 | |
| 1953.11 | 交響曲第5番「ヒロシマ」 | 大木正夫 | |
| 1953.12 | 広島によせて | 坂本勉 | |
| 1953 | ああ原爆の思い出 | 豊岡やす子 | |
| 1953 | 先生のやけど | 不明 | 宗像和 |
| 1954.4 | あゝ広島に花咲けど | 坂口淳 | 吉田正 |
| 1954.7 | 原爆を許すまじ | 浅田石二 | 木下航二 |
| 1954.8 | 幾万の | 白島きよ | 古関裕而 |
| 1954.8 | 爆風に | 小堺吉光 | 古関裕而 |
| 1954.8 | 虫の声 | 越智もん | 古関裕而 |
| 1954.8 | 交声曲「長崎」 | 島内八郎 | 伊藤英一 |
| 1954.9 | 甦る廣島 | 三宅辰美 | 林光 |
| 1954.11 | 平和こそわれらのもの | くぼききょうた | 木下航二 |
| 1954.11 | 水爆犠牲者を忘れるな | 関西合唱団 | 関西合唱団 |
| 1954.11 | 誓い | 北城さなえ | 宅孝二 |
| 1954.11 | アジア平和行進曲 | 野間宏 | 小林秀雄 |
| 1954.11 | 主婦のうたごえ | 北條まこと | 宅孝二 |
| 1954.12 | 誓い | 宗像和 | 宗像和 |
| 1954 | 世界の声 | 北川幸比古 | 林光 |
| 1954 | そうらん節 | 替え歌 | |
| 1954 | 八木節 | 替え歌 | |
| 1955.1 | 怒りの胸 | 増岡敏和 | 木下航二 |
| 1955.2 | 平和はよみがえる | 島内八郎 | 寺崎良平 |
| 1955.3 | 悲しみに苦しみに | 阿部静子 | 村中好穂 |
| 1955.7 | 交響風物詩「未来にまでうたう歌」 | 米田栄作 | 市場幸介 |
| 1955.8 | ちちをかえせははをかえせ | 峠三吉 | 村中好穂 |
| 1955.8 | 夏雲は何も言わねど | 石本美由起 | 上原げんと |
| 1955.8 | わが故郷 | 増岡敏和 | 村中好穂 |
| 1955.8 | 腐臭の原 | 黒岩鉄雄 | 木野普見雄 |
| 1955.8 | 平和祈念像の歌 | 向井学 | 寺崎良平 |
| 1955.8 | 平和祈念像を讃える歌 | 松永雅子 | 寺崎良平 |
| 1955.8 | デルタの歌 | 米田栄作 | 吉田盈照 |
| 1955.8 | 水爆反対節 | 佐藤広志 | 佐藤広志 |
| 1955.8 | 死んだ女の子 | ナーズム・ヒクメット (訳:飯塚広) | 木下航二 |
| 1954.8? | ピカドンゆるすな、ヒロシマを忘れまい | 伊藤徳次郎 | 小林秀雄 |
| 1954.8? | 広島のうたごえ | 増岡敏和 | 村中好穂 |
| 1955.8? | 友よ | 馬場均 | 関忠亮 |
| 1955.8? | 原爆反対のうた | 伏木甲子 | 伏木甲子 |
| 1955.8? | 平和のとりで | いずみたく | いずみたく |
| 1955.8? | 元気な子供 | 中央合唱団 | 小林秀雄 |
| 1955.8? | 青年行進曲 | 小西将己 | 寺原伸夫 |
| 1955.8? | 世界中のともだちよ | 宗像和 | 宗像和 |
| 1955.8? | 青年行進曲 | 小西将己 | 和智操一郎 |
| 1955 | 鳩笛 | 浅田石二 | 村中好穂 |
| 1956.8 | 交響曲「広島の街は甦る」 | 米田栄作 | 田中敬 |
| 1956.8 | 生きていてよかった | 阿部静子 | 村中好穂 |
| 1956.8 | 広島・長崎 | 村中好穂 | 村中好穂 |
| 1956.8 | 平和行進の歌 | 島内八郎 | 木野普見雄 |
| 1956.8 | いのち焼かれまじ | 黒岩鉄雄 | 木野普見雄 |
| 1956.8 | あすの歓びを | 黒岩鉄雄 | 木野普見雄 |
| 1956.11 | 原爆の基地を許すまい | 村中好穂 | 村中好穂 |
| 1956.11 | 母なればこそ | 阿部静子 | 村中好穂 |
| 1956 | 父をかえせ母をかえせ | 峠三吉 | 多湖功也 |
| 1956 | 遠い昔の | 水野潤一 | 水野潤一 |
| 1957.7 | 人よ | 清水高範 | 西岡敏雄 |
| 1957.8 | 交響組曲「広島―1957年」 | 市場幸介 | |
| 1957.8 | 光は日々に新しく | 山田迪孝 | 田中敬 |
| 1957.9 | 雨の朝です | 関村喜久 | 木下そんき |
| 1957.9 | 水爆はいやだ | 門倉詇 | いずみたく |
| 1957.9 | 爆心地の鳩 | 小野十三郎 | 宗像和 |
| 1957.9 | 我等の願い | 稚野和英 | いずみたく |
| 1957.12 | 明日はぼくらのもの | 窪田享 | 関忠亮 |
| 1957 | 明日の日のために | レフ・オシャーニン (訳詞:合唱団白樺) | アナトリー・ノヴィコフ |
| 1958.1 | 交響詩「雲」 | 米田栄作 | 古屋良男 |
| 1958.2 | 歌曲集「原子野」 | 福田須磨子 | 木野普見雄 |
| 1958.6 | 水ヲ下サイ | 原民喜 | 林光 |
| 1958.6 | 憎しみよ輝け | 新宿合唱団 | 木下そんき |
| 1958.8 | 原子戦争ないように | 大江将精 | 木下そんき |
| 1958.8 | 原爆の子 | 和田享子 | 波多野正己 |
| 1958.8 | 声高く | 築城由二 | 芥川也寸志 |
| 1958.8 | この声きけ | 関忠亮 | 関忠亮 |
| 1958.8 | 千羽鶴に捧げるレクイエム | 米田栄作 | 山崎登 |
| 1958 | オラトリオ「長崎」 | 米田栄作ほか | アルフレート・シュニトケ |
| 1959.1 | 明けゆく長崎 | 北村西望 | 寺崎良平 |
| 1959.5 | 原爆の若妻 | 不詳 | 不詳 |
| 1959.5 | 幻想曲「カンナ」 | 大島寿一 | 諸井昭二 |
| 1959.5 | 主題と変奏 | 峠三吉 | 岡田和夫 |
| 1959.5 | 冬 | 原民喜 | おきはるを |
| 1959.8 | 愛の歌 | 山田迪孝 | 宮原禎次 |
| 1959.8 | 長崎の兄妹 | 野村俊夫 | 古関裕而 |
| 1959 | 雲が人々を殺さぬように | ナーズム・ヒクメット(訳:角田勇) | 岡田京子 |
| 1959 | つぶやきをささやきを声にしよう | 窪田享 | 小林秀雄 |
| 1959 | ヒロシマ | 関鑑子 | マトヴェイ・ブランテル |
| 1959 | 平和行進 | 石原祐子・岡山合唱団 | 石原秀雄 |
| 1959 | 平和のちかい | 木下そんき | 木下そんき |
| 1959 | 平和を祈り御霊をしずめん | 大木惇夫 | 西岡敏雄 |
| 1959 | むかし空は | 金森久城 | 関忠亮 |
| 1960.3 | ヒロシマのオルフェ | 大江健三郎 | 芥川也寸志 |
| 1960.3 | 花には太陽を子供らには平和を | 木下そんき | 木下そんき |
| 1960.8 | 御魂よ、地に泣くなかれ | 不詳 | |
| 1960.8 | 平和の歌 | 不詳 | |
| 1960.9 | ひろしまは | 清水高範 | 西岡敏雄 |
| 1960.12 | 私は広島を証言する | 八島藤子 | 尾上和彦 |
| 1960 | 国民平和行進をうたう | 岩田光広 | 鈴木敏夫 |
| 1960 | ズボニー・ナガサキ | ズエニエック・ウヘリール | |
| 1960 | ふりそそげ春の日 | 木下そんき | 関忠亮 |
| 1960 | みんなの指で字を書こう | 岩田宏 | 林光 |
| 1961.6 | 折鶴むねに | 川路隆示 | 寺原伸夫 |
| 1961.8 | 太田川物語 | 三宅辰美 | 仲勇吉 |
| 1961.8 | 空はいつも流れている | 清水高範 | 永井主憲 |
| 1961.8 | 巷塵 | 米田栄作 | 升田徳一 |
| 1961.9 | 広島の犠牲者に捧げる哀歌 | クシシュトフ・ペンデレツキ | |
| 1961.9 | 原爆の碑によせて | 原爆慰霊碑面 | 宗像和 |
| 1961.12 | グランド・カンタータ「人間をかえせ」第Ⅰ部 | 峠三吉 | 大木正夫 |
| 1961 | 平和行進の歌 | 近藤めぐみ | 谷口武士 |
| 1962.3 | 3月1日の歌 | 焼津青年合唱団 | 泉三吉 |
| 1962.4 | いますぐ世界に平和を | 中央合唱団 | 木下航二 |
| 1962.4 | 神よ原子爆弾を降らせ給うな | チャールズ・ミンガス | チャールズ・ミンガス |
| 1962.5 | へいわをかえせ | 峠三吉 | 宗像和 |
| 1962.5 | 平和のために | 中央合唱団 | 川路隆示 |
| 1962.5 | 広島は許さない | 中央合唱団 | 寺原伸夫 |
| 1962.7 | 久保山愛吉の墓碑銘 | (訳:ギュンター・アンデルス) | ヘルベルト・アイメルト |
| 1962.8 | 交声曲「街は生きている」 | 清水高範 | 横山青二 |
| 1962.8 | 生命と愛の歌 | ギュンター・アンダース ヘスス・ロペス・パチェコ チェーザレ・パヴェーゼ | ルイジ・ノーノ |
| 1962.8 | 挽歌 | 清水高範 | 千葉修也 |
| 1962.8 | 折鶴 | 森田八重子 | 木下航二 |
| 1962.11 | 組曲「瀬戸内」 | 宮下秀冽 | |
| 1962.12 | 平和こそ世界の守り | 中央合唱団 | 関忠亮 |
| 1962 | アメリカ帝国主義をたたきだせ | 荒木栄 | 荒木栄 |
| 1962 | 平和・ひろしま・愛のまち | 夢丘薫 | 山内秀夫 |
| 1963.5 | ぐんとつきだせみんなのこぶし | 日本のうたごえ実行委員会 | 関忠亮 |
| 1963.8 | グランド・カンタータ「人間をかえせ」第Ⅱ部 | 峠三吉 | 大木正夫 |
| 1963.8 | ひろしま | まきごろう | 前田和男 |
| 1963 | 怒りを胸に | 中央合唱団 | 中央合唱団 |
| 1963 | 怒りを炎に | 中央合唱団 | 中央合唱団 |
| 1963 | おいらはタンポポ | 不詳 | 不詳 |
| 1963 | 原爆をつくるな | 不明 | さわむら・たかし |
| 1963 | 祖国に平和を | 高川文子 | 伊勢うたごえ教室 |
| 1963 | 団結かたく | 全国創作会議、大西進 | 大西進 |
| 1963 | 広島に集まろう | 広島合唱団 | 広島合唱団 |
| 1963 | 広島へ行こう | 林学 | 林学 |
| 1963 | 平和のうた | 森田ヤヱ子 | 大西進 |
| 1963 | ポラリスくるな | 第二回全国創作会議 | 第二回全国創作会議・林学 |
| 1963 | Uに贈る悲歌 | 原民喜 | 林光 |
- 関連トピック
エリザベト音大短期大学部開校(1952.4)
『アサヒグラフ』原爆被害写真初公開(1952.8)
国際医師会議(ウィーン)で草野信男が原爆被害の実態を報告(1953.5)
広島平和国民大会に7600名参加、平和宣言を採択(1953.8)
ソ連初の水爆実験(1953.8)
日教組製作映画『ひろしま』公開(1953.8)
米原潜ノーチラス号進水(1954.1)
第五福竜丸、ビキニでの米水爆実験により被災(1954.3)
原水爆禁止署名運動全国協議会結成(1954.8)
世界平和記念聖堂完成(1954.8)
第五福竜丸、無線長・久保山愛吉氏死去(1954.9)
「原爆許すまじ・1954年日本のうたごえ」開催(1954.11)
世界平和協議会、原子戦争準備に反対するウィーンアピール発表(1955.1)
東欧7カ国、ソ連とワルシャワ条約調印(1955.5)
「ラッセル=アインシュタイン宣言」発表(1955.7)
第1回原水爆禁止世界大会広島大会開催(1955.8)
長崎平和祈念像除幕式(1955.8)
広島原爆資料館開館(1955.8)
原水爆禁止日本協議会(原水協)結成(1955.9)
衆議院、原水爆実験禁止要望決議案を可決(1956.2)
長崎で第2回原水爆禁止世界大会(1956.8)
映画『生きていてよかった』完成(1956.8)
広島原爆病院開院(1956.9)
衆議院、原爆障害者の治療に関する決議案を採択(1956.12)
原爆被爆者医療法施行(1957.4)
日本学術会議、原水爆実験禁止を決議(1957.4)
イギリス、クリスマス島で第1回水爆実験(1957.5)
茨城県東海村の原子力研究所に第1号原子炉が完成(1957.8)
ビキニ記念共同行動デー(1958.3)
ソ連、核実験の停止声明(1958.3)
原水爆禁止を訴える広島・東京間1000キロ平和行進出発(1958.6)
米・英、核実験の条件つき1年間停止を発表(1958.8)
ビキニ被災5周年・原水爆禁止・核武装反対国民大会(1959.3)
原水協『原爆被害者白書』発表(1959.6)
仏サハラで第1回原爆実験(1960.2)
新安保条約発効(1960.6)
池田勇人内閣成立(1960.7)
米、ケネディが第35代大統領に当選(1960.11)
被団協「被爆者援護法要求国会請願大会」初のデモ行進(1961.2)
池田首相、米大統領ケネディに核実験停止要請の親書(1962.3)
第8回原水爆禁止世界大会、ソ連の核実験再開をめぐり大会は混乱、分裂状態で解散(1962.8)
社会党・総評など原水爆禁止運動連絡会議を結成(1962.12)
ビキニ被災9周年集会焼津全国集会中止(1963.3)
米・英・ソ三国、部分的核実験停止条約調印(1963.8)
広島市民交響楽団スタート(1963.10)
東京地裁、原爆訴訟に対し「原爆投下は国際法違反だが損害賠償請求権はない」と判決(1963.12)
- 概要(『ヒロシマと音楽』から)
講和条約が発効し、表現への制約も緩和されるにつれて、原爆被害の実相が次第に明らかになる時期である。この時期に入ると、これまでの原爆に対する間接的な怒りや悲しみの表現が、直接的な表現に一変していく。曲のタイトルを見ても、〈原爆を許すまじ〉〈ピカドンゆるすな、ヒロシマ忘れまい〉〈この声聞け〉〈父をかえせ、母をかえせ〉のように、怒りをあらわにした作品が増えてくる。このような声は、この時期の原水爆禁止運動の高揚と平行して、ますますトーンが高くなっていくのがわかる。音楽面ではわが国のうたごえ運動の台頭も無視することはできない。今では原爆音楽の代表作として知られ、歌われる機会も多い〈原爆を許すまじ〉(浅田石二作詞、木下航二作曲)は、そのような背景から生まれた歌である。作曲は1954年となっているが、この年の3月にはビキニ被災事件があり、核兵器に反対する国民運動が大きく盛り上がった年である。この歌は同年の8月に広島市の本川小学校で催された平和運動全国協議会の席上で発表されたが、このような集会の度に歌われて、運動を発展させる大きな原動力にもなったのである。その後ワルシャワで開かれた「第5回世界青年平和友好祭」の国際文化コンクールの作曲部門で上位入賞を果たし、6カ国語にも翻訳されて、まさに「世界の歌」としてさらに拍車をかけることになった。これは歌の持つ心情と運動とが直接結びついた典型的な例といえるだろう。〈原爆を許すまじ〉は、後に外山雄三により、弦楽四重奏曲としても生まれ変わっている。
音楽で広島の被災者たちを慰めたいという願いから、海外の音楽家たちもヒロシマに目を向け始めている。フィンランドのアールトネンが自作の交響曲《ヒロシマ》を指揮者の朝比奈隆に託したのがきっかけで、被爆10周年を迎えた1955年、関西交響楽団[現:大阪フィルハーモニー管弦楽団]により初演された。また、ソ連のピアニスト、セレブリヤコフは演奏旅行の途中広島に立ち寄り、自作の〈広島市民へ捧げる曲〉を披露している。一方、国内では、この時期に原爆音楽の大作が次々に生まれている。代表作に《交響曲ヒロシマ》《交響的幻想曲ヒロシマ》(大木正夫作曲)、〈未来にまで歌う歌〉(米田栄作作詞、市場幸介作曲)、〈原爆小景〉(原民喜作詞、林光作曲)、グランド・カンタータ《人間をかえせ》第一部・第二部(峠三吉作詞、大木正夫作曲)などがある。これらの作品には、原爆の悲惨さや怒り、悲しさを原爆詩に託してきわめてリアルに描いていく姿勢と、原爆というテーマを共通感情として一般化し、訴求力を高めていく姿勢を見ることができる。また、大木正夫のように、自らのライフワークとして、大衆の平和の歩みを音楽芸術に具現するような作曲家も現れた。
第三期(1964~76年)
| 発表 | 曲名 | 作詞者名 | 作曲者名 |
| 1964.6 | 死んだ少女 | ナーズム・ヒクメット(訳:峯俊夫) | 清瀬保二 |
| 1964.12 | アメリカは帰れ | 赤木三郎、中央合唱団 | 関忠亮 |
| 1964 | けがすな平和の海を | 神奈川のうたごえ(補作:窪田亨) | 木下そんき |
| 1964 | 八月の歌 | 伊藤時生 | 伊藤時生 |
| 1964 | ヒロシマ・ナガサキ | 大西進 | 大西進 |
| 1964 | 平和ばやし | 桑山守 | 桑山守 |
| 1964 | 星の一つに | こけしの会 | 上原げんと |
| 1964 | 焼津から呼びかけよう | 田中照久 | 菅谷厳 |
| 1964 | 焼津にいこう | 森田ヤヱ子 | 滝三郎 |
| 1965.4 | ザ・パイロット | 宮本研 | 増見利清 |
| 1965.6 | 原爆の子の像 | 石本美由起 | 遠藤実 |
| 1965.6 | 平和のともし灯 | 石本美由起 | 遠藤実 |
| 1965.7 | ああヒロシマ | 小堺吉光 | 寺西敏雄 |
| 1965.7 | かえらぬねえちゃん | 草野哲夫 | 林学 |
| 1965.8 | 原子野 | 長崎うたごえセンター創作班 | 長崎うたごえセンター創作班 |
| 1965.8 | 広島市歌 | 西村福三 | 清水脩 |
| 1965.8 | ああ広島 | 和泉たくみ | 小林よしのり |
| 1965.8 | 組曲「長崎」 | 長崎うたごえセンター | 藤本洋 |
| 1965.9 | 組曲「ひろしま」 | 持田勝穂 | 森脇憲三 |
| 1965 | 人間を返せ | 岡本文弥 | |
| 1965 | ふるさとの空の下に | 美輪明宏 | 美輪明宏 |
| 1966.6 | ひろしまから | 東京都原爆被害者団体協議会 | 東京のうたごえ、東京都被団協 |
| 1966.8 | 八月の祖国 | 八代信 | 鈴木克 |
| 1966.9 | 花をささげる | 土井大助 | 宗像和 |
| 1966.9 | 三つの悲歌 | 横江千鶴子、はらみちお、坂村真民 | 安達元彦 |
| 1966.11 | 組曲「川」 | 栗原貞子 | 永井主憲 |
| 1966.11 | 原水爆禁止のうた | 中根治 | 中根治 |
| 1966 | 核武装の島の被爆者 | 大橋善一 | 中村はじめ |
| 1966 | にんげんをかえせ | 峠三吉 | 三戸頼雄 |
| 1966 | 花をささげる | 土井大助 | 外山雄三 |
| 1966 | ヒロシマ | 豊田勇造 | 豊田勇造 |
| 1966 | ヒロシマの花 | エディタ・モリス | J.K.フォーレスト |
| 1966 | Bura Bura | コレット・マニー | コレット・マニー |
| 1967.7 | 泣くな長崎 | 高波藤夫 | 深町一朗 |
| 1967.8 | 広島の鐘 | 益田玲助 | 木戸全一 |
| 1967.8 | 映画『原爆の図』 | 岡田和夫 | |
| 1967.10 | 恵の丘 | 石川和子 | 石川和子 |
| 1967.11 | 八時十五分の祈りの歌 | 小堺吉光 | 松村浩 |
| 1967 | あゝヒロシマ | 和泉たくみ | 小林よしのり |
| 1967 | オラトリオ「ヒロシマを繰り返すまじ」 | ミハイル・マトゥソフスキー | ユーリ・レヴィチン |
| 1967 | カンタータ「土の歌」 | 大木惇夫 | 佐藤眞 |
| 1967 | スレノディ | マリー・シェーファー | |
| 1967 | 黙示 | 木原孝一 | 清水脩 |
| 1967 | われらの隊列 | 吉岡きよし | 多泉和人 |
| 1968.8 | 八月の太陽 | 浅尾忠男 | 菱田晴夫 |
| 1968.9 | 晴着の娘 | 中西英治 | 中西英治 |
| 1968.9 | われなお生きてあり | 福田須磨子 | 木野普見雄 |
| 1968 | 怒りの日 | 原民喜、山田数子 | 宗像和 |
| 1968 | 映画『ヒロシマの証人』 | 安達元彦 | |
| 1968 | 原爆の母 | 飯山栄浄 | 東山富士夫 |
| 1968 | 白い血 | 辻端力 | 笹本二郎 |
| 1968 | 遠い呼声 | 栗原貞子 | 仲俣申喜男 |
| 1968 | 平和行進の歌 | 田部正行 | 勝山不二 |
| 1968 | やすらかに | 白南風凪砂 | 笹本二郎 |
| 1969.8 | 夾竹桃のうた | 藤本洋 | 大西進 |
| 1969.9 | ヒロシマのこえ | 土井大助 | 矢沢保 |
| 1969.10 | 僕、生きたかった | 名越操 | 小野崎孝輔 |
| 1969 | ヒロシマの空は | 窪田聡 | 窪田聡 |
| 1970.3 | 交響曲「炎の歌」 | 土井大助 | 外山雄三 |
| 1970.5 | 譚詩「黒い雨の日の広島」 | 佐藤正二郎 | |
| 1970.5 | ヒロシマの子守唄 | 中西英治 | 中西英治 |
| 1970.8 | ひろしまの歌 | 深沢一夫 | 渡辺浦人 |
| 1970.9 | 百日紅 | 正田篠枝 | 星野健 |
| 1970.9 | レクイエム・シャーンティ | 早川正昭 | |
| 1970.10 | レクイエム「碑」 | 薄田純一郎 | 森脇憲三 |
| 1970 | 国中ひとつに | 大西進 | 大西進 |
| 1970 | 弦楽四重奏曲第2番 | 佐藤敏直 | |
| 1970 | 福竜丸は生きていた | 森田ヤヱ子 | 三条場康則・高平つぐゆき・熊谷賢一・赤嶺成輝 |
| 1970 | 三つの行進曲 | 栗田素江、藤井ゆり、坂本明子 | 安達元彦 |
| 1970 | モテット「命の歌」 | 正田篠枝 | 安達元彦 |
| 1970 | レクイエム「父よ」 | 荒木博美 | 熊谷賢一 |
| 1971.1 | 八月の歌Ⅰ | 草間透、山田数子、原民喜 | 本間雅夫 |
| 1971.3 | 日ノ暮レチカク・夜 | 原民喜 | 林光 |
| 1971.5 | 生ましめんかな | 栗原貞子 | 木原一幸 |
| 1971.8 | 構成詩「未来を語りつづけて」 | 作・構成:深川宗俊 | 安達元彦 |
| 1971.8 | 小さな骨 | 深川宗俊 | 安達元彦 |
| 1971.12 | 片足鳥居の映像 | 佐藤敏直 | |
| 1971 | 青い空は | 小森香子 | 大西進 |
| 1971 | 祈り | 藤本洋 | 林学 |
| 1971 | 川面にひとつ | 藤本洋 | 高平つぐゆき・いずみたく・林学・山本弘之・林彰雄・亀口豊次・寺沢伸輔 |
| 1971 | Hiroshima | デヴィッド・モーガン | デヴィッド・モーガン |
| 1971 | 平和 | 門倉詇 | 林彰雄・坂倉宗雄 |
| 1971 | わたしの広島 | 広島合唱団 | 広島合唱団 |
| 1972.2 | Hiroshima | 奈良橋陽子 | 石間秀樹 |
| 1972.6 | 八月の歌Ⅱ | 原民喜、山田数子 | 本間雅夫 |
| 1972.7 | 平和公園の灯 | 村井和子 | 葦原邦子 |
| 1972.9 | トマト | 佐藤智子 | 中西英治 |
| 1972.12 | そは人間なりき | ヴァーツラフ・リードル | |
| 1972 | 音楽構成詩劇「一九七二年」 | 名越操 | 尾上和彦 |
| 1972 | ヒロシマ | ジョルジュ・ムスタキ | ジョルジュ・ムスタキ |
| 1973.2 | 愛の歌 | 深川宗俊 | 安達元彦 |
| 1973.2 | すずききよしフォーク・アルバム第2集 | すずききよし、原民喜、門倉詇 | すずききよし |
| 1973.6 | 広島霊歌 | 浜本武一 | 三戸頼雄 |
| 1973.8 | 生ましめんかな | 栗原貞子 | 福島雄次郎 |
| 1973.8 | 八月の歌Ⅲ | 本間雅夫 | |
| 1973 | モノオペラ「ひろしま」 | 門倉詇(補作:寺原伸夫) | 寺原伸夫 |
| 1974.3 | 交響詩「ながさき」 | 江間章子 | 團伊玖磨 |
| 1974.3 | もしあなたが | ふくやまゆきお | ふくやまゆきお |
| 1974.8 | 合唱構成「告発の戦列に」 | 峠三吉、栗原貞子ほか | 岩田隆則 |
| 1974.8 | 朝顔 | 峠三吉 | 監修:今藤長十郎 |
| 1974.8 | 一本の鉛筆 | 松山善三 | 佐藤勝 |
| 1974.8 | 風よ 月よ 人よ | 山田数子 | 森山良子 |
| 1974.8 | 悲しみの終るときまで | 岩谷時子 | いずみたく |
| 1974.8 | 橋はいつも | 上條恒彦 | 小室等 |
| 1974.8 | 原民喜詩集より | 原民喜 | 観世栄夫 |
| 1974.8 | コンドレー・マンダレー | 松山善三(韓国語訳:吉屋潤) | 吉屋潤 |
| 1974 | あの日の広島 | 大越憲二 | 大越憲二 |
| 1974 | 幻想曲「ヒロシマは…」 | 佐藤正二郎 | |
| 1974 | 似島 | 源田えり | 大西進 |
| 1974 | Hirošima | シュテファン・ラック | |
| 1974 | 平和のあけぼの | 和泉たくみ | 永井主憲 |
| 1974 | レクイエム「死と焔の記憶」 | 原民喜、峠三吉、木原孝一、栗田素江、渡辺邦秋 | 岡田和夫 |
| 1975.2 | 悪魔 | 美輪明宏 | 美輪明宏 |
| 1975.5 | 戦争を知らないから | 山田愛毅 | 榊原政敏 |
| 1975.5 | 千羽鶴 | 林春生 | 馬飼野俊一 |
| 1975.5 | 届かない手紙 | なかにし礼 | 吉田正 |
| 1975.5 | ひとは今 | 森脇美奈子 | 團伊玖磨 |
| 1975.5 | 広島レクイエム | 藤田敏雄、岩谷時子 | いずみたく |
| 1975.5 | ヨシオ君に何があったん? | 熊谷勇二 | 團伊玖磨 |
| 1975.6 | 平和の町のために | ハービー・ハンコック | |
| 1975.8 | 合唱構成「灼かれ続けるヒロシマ」 | 岩田隆則・的場よしお | 岩田隆則 |
| 1975.9 | 慟哭 | 山田数子 | 尾上和彦 |
| 1975.11 | 私たちがいなくなっても | 岩谷時子 | 東海林修 |
| 1976 | 歩く | 板谷紀之 | 岡田京子 |
| 1975 | 祈りの曲第1「哀悼歌」 | 川崎優 | |
| 1975 | 死んだ女の子 | ナーズム・ヒクメット(訳:飯塚宏) | すずききよし |
| 1975 | 八月六日 | 峠三吉 | 金藤豊 |
| 1975 | ヒロシマ | 三戸頼雄 | |
| 1975 | ヒロシマによせる四つの詩 | 門倉詇 | 藤家虹二 |
| 1975 | 広島のうた | 外山雄三 | |
| 1976.5 | もんぺのかあさん | 小川洋子 | 平尾昌晃 |
| 1976.5 | 橋のうえで | 上條恒彦 | 小室等 |
| 1976.5 | カンタータ「未来への約束」 | 石本美由起 | 小川寛興 |
| 1976.6 | 長崎物語 | 上林猷夫 | 黒髪芳光 |
| 1976.7 | いくさ | 栗原貞子 | 若草恵 |
| 1976.7 | 影 | 葦原邦子 | 若草恵 |
| 1976.8 | 合唱構成「人間が生き続ける為に」 | 岩田隆則・峠三吉 | 岩田隆則 |
| 1976.8 | 泣かないで坊や | 浜本聡 | 浜本聡 |
| 1976.8 | 夏 | 沖野達成 | 沖野達成 |
| 1976.8 | 夏の朝 | 田中ルミ子 | 田中ルミ子 |
| 1976.8 | 夏の一日 | 神田光生 | 神田光生 |
| 1976.8 | 夏の川 | 城真弓 | 城真弓 |
| 1976.8 | 平和を願うけれど | 野間圭子 | 野間圭子 |
| 1976.10 | まちんと | 松谷みよ子 | 高岡良樹 |
| 1976.12 | 組曲「ひろしま」 | 峠三吉 | すずききよし |
| 1976 | 統一の道 | 小森香子 | 石原一輝・大西進 |
| 1976 | 一つの夏 | 門倉詇 | 岡田鈴美 |
- 関連トピック
東海道新幹線開通(1964.10)
第18回東京オリンピック大会開催(1964.10)
米原潜シードラゴン号、佐世保初入港(1964.11)
米原潜「寄港」に抗議する西日本大集会(1965.2)
被爆20周年原水爆禁止世界大会(1965.8)
佐藤栄作首相 訪米と沖縄訪問(1965.8)
米原潜、横須賀初入港(1966.5)
広島市議会、原爆ドームの永久保存を決議(1966.7)
被団協『原爆被害の特質と被爆者援護法の要求』発行(1966.10)
米軍押収中の原爆記録映画、22年ぶりに返還される(1967.11)
佐藤首相米国訪問へ 全学連の抗議デモ隊、警官と衝突(1967.11)
幻の原爆記録映画、初公開(1968.4)
小笠原諸島日本へ復帰(1968.6)
第五福竜丸保存委員会発足(1969.7)
米・ソ、戦略兵器制限交渉開始(1969.11)
政府、核拡散防止条約に調印(1970.2)
日本万国博開催(1970.3)
日米安保条約自動延長となる(1970.6)
仏、ムルロア環礁で核実験(1970.6)
天皇皇后両陛下初めて広島の原爆慰霊碑に参拝(1971.4)
広島・原爆26周年記念式典に初めて、現職佐藤首相が参列(1971.8)
米原子力委アムチトカ島の5メガトン地下核実験を強行(1971.11)
沖縄祖国復帰、27年の米統治に終止符(1972.5)
広島交響楽団プロとしてスタート(1972.6)
原爆と文学の会『原爆と文学』創刊(1972.7)
日中国交回復(1972.9)
原水協「被爆者援護法大綱」発表(1973.4)
広島長崎の被爆資料28年ぶりに米から返還(1973.5)
WHO総会、あらゆる核実験に反対を決議(1973.5)
インド初の地下核実験(1974.5)
原子力船「むつ」で放射能漏れ事故(1974.9)
佐藤前首相にノーベル平和賞(1974.12)
山陽新幹線開通(1975.3)
ABCC28年の歴史に幕、新たに放射線影響研究所としてスタート(1975.4)
原爆に関する極秘メモ、米公文書館から広島市へ(1975.8)
第21回原水爆禁止世界大会で「ヒロシマ・アピール」採択(1975.8)
被爆30周年広島国際フォーラムで核不使用特別決議採択(1975.8)
広島市と長崎市が平和文化都市として提携(1975.8)
久保山愛吉記念碑除幕式おこなわれる(1976.5)
第五福竜丸展示館完成(1976.6)
長崎原爆忌31周年式典に三木首相が歴代首相として初めて出席(1976.8)
米で原爆投下ショー、B-29を使い「広島」を再現(1976.10)
北京放送、水爆実験に成功と報道(1976.11)
- 概要(『ヒロシマと音楽』から)
この時期の話題は、何といってもポーランドの作曲家ペンデレツキが作曲した〈広島の犠牲者への哀歌〉で始まる。作曲は1960年とされているが、1964年12月1日、当時の浜井広島市長にメッセージとともに同曲のレコードが献呈されたことから、一躍話題となった。早速東京から音楽評論家を呼び、広島市民にはレコード・コンサートの形で紹介されている。今日では、現代音楽の古典ともいえる作風だが、当時の前衛的手法を駆使した半ば冷ややかな響きは、聴く側にかなりの戸惑いをもって迎えられたようだ。しかし、底流に潜む強烈な人間感情は概ね前向きに評価され、その後も原爆の脅威を象徴するヒロシマの作品として存在し続けている。
前の時期に開花したうたごえ運動はさらに盛り上がりをみせ、1950年代の中頃から『うたごえ歌曲集』が相次いで現れてくるが、1960年代に入ると、各地のうたごえ運動の中で原爆音楽が次々と作詞・作曲されるようになったことが特徴として挙げられる。1965年には長崎うたごえセンターから〈原子野〉や組曲《長崎》が作られ、翌年には、東京うたごえによる作詞・作曲で〈広島から〉が発表されている。つまり、原水爆禁止運動の分裂にもかかわらず、新たな市民運動の広がりと高まりに中で、うたごえ運動と原爆音楽の創作活動が密接に結びついてきた時期といえる。
こうした流れの中で1974年、広島テレビが企画した「広島平和音楽祭」(古賀政男実行委員長)が、平和をテーマにしてスタートした。当初出演者をめぐるトラブルもあったが、音楽祭には音楽のすべてのジャンルを含む当時第一線で活躍する出演者たちが集合し、人間愛、希望、よろこび、友情、連帯、平和などを歌うとあって、その企画力に大きな注目が集まった。第一回には、ペギー葉山、美空ひばり、上條恒彦、友竹正則、観世栄夫らが出演し、團伊玖磨の指揮する広島交響楽団が共演した。美空ひばりが歌った〈一本の鉛筆〉はここで生まれるが、この曲は以来今日まで静かなブームを巻き起こしている。この「平和音楽祭」は毎年開催され、1994年の第20回まで続く。このシリーズから多くの原爆音楽にかかわる新作が生まれたことは特筆すべきだろう。また、シリーズものとしては、地元の広島交響楽団が「平和の夕べ」と称して慰霊のコンサートを始めたのもこの時期である(1968年、第1回)。
この時期の代表的作品として、芥川也寸志が大江健三郎の詩に作曲したオペラ《ヒロシマのオルフェ》(1967年)、林光が原民喜の詩に作曲した《原爆小景》(三部作が完成しレコード化、1973年)、森脇憲三作曲の組曲《ひろしま》(1965年)、外山雄三作曲の交響曲《炎の歌》、森脇憲三作曲の男声合唱のためのレクイエム《碑》(1970年)、早川正昭作曲の〈レクイエム・シャーンティ〉(1970年)などが挙げられる。オペラ《ヒロシマのオルフェ》はNHKテレビの委嘱作品で、1960年の〈暗い鏡〉を改題改作したものである。被爆60周年にあたる2005年、広島出身の作曲家、細川俊夫が音楽監督を務め広島では初めて上演された。また、〈レクイエム・シャーンティ〉は、歌詞を伴わない器楽曲であること、尺八という日本の伝統楽器を用いていること、などから海外でも大きな反響を呼び、今でも度々演奏される作品となっている。
この時期には、いくつかのシリーズものが企画され、多様な広がりと高まりの中、一定期間継続し、独自の展開をとげているのが注目される。
第四期(1977~85年)
| 発表 | 曲名 | 作詞者 | 作曲者 |
| 1977.2 | 八月六日 | 峠三吉 | 宗像和 |
| 1977.6 | あなたの椅子 | 山口洋子 | 平尾昌晃 |
| 1977.6 | ヒロシマあるかぎり | 竹森真喜男 | 團伊玖磨 |
| 1977.6 | ひろしまの母 | 石本美由起 | 古賀政男 |
| 1977.6 | 平和公園 | 大槻明子(補作:石本美由起) | 大塚博堂 |
| 1977.6 | 名前をかいて | 小森香子 | 大西進 |
| 1977.7 | 雲が人々を殺さないように | ナーズム・ヒクメット(訳:峯俊夫) | 高平つぐゆき |
| 1977.8 | 合唱構成「無告の谷間から」 | 岩田隆則ほか | 岩田隆則ほか |
| 1977.8 | 祈りの曲第2「悲歌」 | 川崎優 | |
| 1977.9 | 河を流れているような | 被爆中学生の記録より編詩 | 関忠亮・林光 |
| 1977.10 | 八月のヒロシマ | 高田敏子 | 中田喜直 |
| 1977 | 赤い灯ろうを | 奥田久美子 | 1977年創作講習会第3グループ |
| 1977 | 美しい朝のうた | 瀬野とし | 木下そんき |
| 1977 | オラトリオ「ヒロシマ」 | 尾上和彦 | |
| 1977 | 花と折鶴 | 大西進 | 大西進 |
| 1977 | 母の窓辺 | みちわたる | 岩見和夫 |
| 1977 | ひとりになって | 不詳 | 不詳 |
| 1977 | ひとつの夏に | 門倉訣 | 園田鉄美 |
| 1977 | ねがいの灯 | 峠三吉 | 宗像和 |
| 1977 | 灰が降る | 三好達治 | 宗像和 |
| 1977 | ひろしま・ながさき | 不明(宗像和?) | 宗像和 |
| 1978.1 | 祈り | 山田数子 | 早川正昭 |
| 1978.2 | 戦跡 | ひとりたみへい(編詞:八木たかし) | 八木たかし |
| 1978.3 | 死んだ女の子 | ナーズム・ヒクメット(訳:中本信幸) | 外山雄三 |
| 1978.6 | 川に映る町 | 星野哲郎 | 小杉仁三 |
| 1978.6 | 歴史 | 石崎勝子(補作:石本美由起) | 森田公一 |
| 1978.7 | 原爆の空 | 砂崎彰子 | |
| 1978.8 | ヒロシマというとき | 栗原貞子ほか | 岩田隆則 |
| 1978.8 | 明日への伝言 | 山川啓介 | いずみたく |
| 1978.10 | 哀傷 第1番 | 竹西正志 | |
| 1978.11 | 遠い行列 | 上林猷夫 | 黒髪芳光 |
| 1978 | 祈り | 山本百合子 | 佐藤正二郎 |
| 1978 | 夾竹桃の歌 | 高岡良樹 | 高岡良樹 |
| 1979.5 | 花ぐるま | 滝田常晴 | 小椋佳 |
| 1979.6 | 相生橋で | 田村和男(補作:石本美由起) | 庄野真代 |
| 1979.6 | 鐘よ鳴りひびけ | 横井弘 | 船村徹 |
| 1979.6 | 広島県花の旅 | 野口家嗣 | 平井哲三郎 |
| 1979.6 | 原爆反対の灯を高く | 前野秀雄 | もとぎあきら |
| 1979.8 | 合唱構成「未来はここからはじまる」 | 栗原貞子 | 岩田隆則・窪田聰 |
| 1979.10 | 黒い歌 | 村野四郎 | 高橋雅光 |
| 1979.10 | 合唱組曲「青く輝く地球のために」 | 埋田昇二 | 木下そんき |
| 1979.12 | 八月の歌Ⅳ | 青木渡 | 本間雅夫 |
| 1979 | 慈仙寺の鼻に鐘がなる | イシミツヨシテル | 大畠雅美 |
| 1979 | 小さな骨 | 深川宗俊 | 大畠雅美 |
| 1979 | 八月六日の涙橋 | さかもとひさし | 大畠雅美 |
| 1979 | ヒロシマの少女 | グエン・ディン・ティ | 大畠雅美 |
| 1979 | あなたのなまえはヒロシマ | 佐々木昌 | 佐々木昌 |
| 1979 | 広島原爆養護ホームの歌 | 地京敏信 | 佐藤正二郎 |
| 1979 | ヒロシマの少女の折鶴 | ヤオホラン・インヘ | ダリザフ・ダッシニャム |
| 1980.5 | 折鶴の歌 | 吉田豊 | 林学 |
| 1980.6 | 組曲「ひろしまの詩」 | 洲加本有衣子 | 平井哲三郎 |
| 1980.6 | 二人のふる里 | 栗原淳子(補作:石本美由起) | 吉田正 |
| 1980.6 | 明日への希望 | 岩谷時子 | 宮川泰 |
| 1980.6 | 平和の組曲 | 岩谷時子 | 宮川泰 |
| 1980.8 | 長崎原爆の歌 | 山口悦子ほか | 寺井一通ほか |
| 1980.8 | 悲しいけれど | 三木稔 | |
| 1980.8 | 風化 | すずききよし | すずききよし |
| 1980.10 | 傷だらけの手 | 福田須磨子 | 木下そんき |
| 1980 | いちめんの焼け野原 | 園田鉄美 | 園田鉄美 |
| 1980 | おりづる | 吉田豊 | 高田龍治 |
| 1980 | 折鶴行進のうた | 吉田豊 | 石原いっき |
| 1980 | 折鶴のうた | 吉田豊 | 中島修一 |
| 1980 | 折鶴よ世界に | 吉田豊 | 園田鉄美 |
| 1980 | 母さんに花を | 山家和子 | 大西進 |
| 1980 | 『原爆の歌』テーマミュージック | 山上博史 | |
| 1980 | 戦争の足音 | 長崎センター合唱団 | 園田鉄美 |
| 1980 | 千恵子に捧げるノーモア・ヒバクシャ | 櫛田フキ | 中島修一 |
| 1980 | 長編詩「ヒロシマ日本人狂詩曲」 | ドミトリー・ホフマン | ドミトリー・ホフマン |
| 1980 | 平和へのメッセージ | 松永勇次 | 松永勇次 |
| 1980 | 燎炎の賦 | 原民喜ほか | 宗像和 |
| 1981.5 | 永遠のみどり | 下畠準三、正田篠枝、栗原貞子、小園愛子、原民喜 | 外山雄三 |
| 1981.6 | 命の手紙 | 洲加本有衣子(補作:石本美由起) | 西脇久夫 |
| 1981.6 | チェロ詩曲「海鳴り」 | 宝木実 | |
| 1981.8 | わたしの海と空を | 瀬野とし | 木下そんき |
| 1981.8 | 写真の中の友 | 峡草夫 | 山口修 |
| 1981.8 | 生命を愛しむ | 福田須磨子 | 山口修 |
| 1981.8 | 原爆句抄 | 松尾あつゆき | 山口修 |
| 1981.8 | オペラ「はだしのゲン」 | 原作:中沢哲治・台本:清水高範 | 保科洋 |
| 1981.8 | ガラスの風船 | 門倉詇 | 熊谷賢一 |
| 1981.8 | 子供らに伝へたい | 小森香子 | 熊谷賢一 |
| 1981.8 | だれがこしらえたの | 有馬敲 | 熊谷賢一 |
| 1981.11 | ヒロシマ | エドモンド・ブランデン | ホセ・テホン |
| 1981.11 | 八月の歌Ⅴ | 水野潤一 | 本間雅夫 |
| 1981.11 | 合唱組曲「川よとわに美しく」 | 米田栄作 | 三枝成彰 |
| 1981.11 | 祈り | 栗原貞子 | 中村雪武 |
| 1981 | 叫び | 松永伍一 | 伏見竜治 |
| 1981 | 鎮魂歌 | 松永伍一 | 伏見竜治 |
| 1981 | 平和の譜 | 藤本洋 | 林学 |
| 1981 | 連祷「地に平和を」 | ロバート・ジェイガー | |
| 1982.2 | おばあちゃん | 山家和子 | 大西進 |
| 1982.2 | 草の根の母たち | 山家和子 | 大西進 |
| 1982.2 | 平和シャローム | 吉川文郎 | 大西進 |
| 1982.2 | ナウ・アンド・ゼン | アール・キム | |
| 1982.3 | ぼくらは冬のリトルボーイ | 飛塚優、深川宗俊 | 高田龍治 |
| 1982.3 | 白い翼の鳥にのって | 加藤千尋 | 御主博実、林善之助、高田龍治 |
| 1982.4 | ヒロシマの空に | 村中好穂 | 村中好穂 |
| 1982.5 | いま黙っていていいのだろうか | 藤川健夫 | 木下そんき |
| 1982.5 | きいてください | 洲加本有衣子 | 池辺晋一郎 |
| 1982.5 | 花は語ってくれるだろうか | 門倉詇 | 宗像和 |
| 1982.6 | 妹よ | 増岡敏和 | 杉本憲一 |
| 1982.6 | 人間を返せ | 峠三吉 | 杉本憲一 |
| 1982.6 | 夾竹桃の子守唄 | 石本美由起 | 團伊玖磨 |
| 1982.6 | 組曲「何げない風景」 | 星野哲郎 | 藤原秀行 |
| 1982.6 | 広島・市電・街景色 | 三宅立美(補作:石本美由起) | 因幡晃 |
| 1982.6 | ひとつのプロローグ | 野崎真立 | 中村雪武 |
| 1982.6 | 二つの小品 | 中村雪武 | |
| 1982.6 | 組曲「おこりじぞう」 | 山口勇子 | くらだゆうじ |
| 1982.7 | 蔓びる影 | 津田欣二 | 遠藤雅夫 |
| 1982.7 | 祈り | 富永三郎 | |
| 1982.8 | 広島が言わせる言葉 | 原民喜 | 新倉健 |
| 1982.8 | 新原爆小景あるいは平和の使徒たちのパレード | 原民喜 | 林光 |
| 1982.9 | 音楽構成詩「嘉代子ざくら」 | 小森秀子 | 林彰雄 |
| 1982.9 | 八月の歌Ⅵ | 徳納晃一 | 本間雅夫 |
| 1982.9 | 八月の歌Ⅶ | 峠三吉 | 本間雅夫 |
| 1982 | 折り鶴 | 梅原司平 | 梅原司平 |
| 1982 | 音楽構成詩「ヒロシマからニューヨークへ」 | 熊谷勇二 | 大西進 |
| 1982 | にんげんをかえせ | 峠三吉 | 中田信次 |
| 1982 | Hiroshima | ジュリウ・ベルトーク | |
| 1982 | ヒロシマというとき | 栗原貞子 | ウド・ツィンマーマン |
| 1982 | ひろしまのうた | エーディス・シトウェル/エドマンド・ブランデン | マルコム・ウィリアムソン |
| 1982 | 広島のおこり地蔵 | 成瀬左千夫 | 寺西敏雄 |
| 1983.3 | 永遠のみどり | 原民喜 | 原守夫 |
| 1983.4 | 水 第一 | 宗像和 | |
| 1983.4 | 人工の星の落下 | アーネスト・トッド・リチャードソン | アーネスト・トッド・リチャードソン |
| 1983.7 | AUGUST 1945 | 三木稔 | |
| 1983.7 | ヒロシマ | ゲイリー・ムーア | ゲイリー・ムーア |
| 1983.7 | 祈りⅡ | 富永三郎 | |
| 1983.8 | 歌曲集「ヒロシマのツル」 | 西岡光秋 | 黒髪芳光 |
| 1983.8 | 雲に人間を殺させるな | ナーズム・ヒクメット(訳詩:中本信幸) | 外山雄三 |
| 1983.8 | オラトリオ「鳥の歌・ひろしま」 | 原民喜ほか | 尾上和彦 |
| 1983.8 | 黒い雨 | 宮川泰 | |
| 1983.8 | おわりのない朝1945.8.6 | 助川敏弥 | |
| 1983.9 | オペラ「おこりじぞう」 | 台本:金子静江 | 尾崎敏之 |
| 1983.11 | 祈りの虹 | 峠三吉、金子光晴、津田定男 | 新実徳英 |
| 1983.11? | 折鶴のとぶ日 | 小森香子 | 浜名政昭 |
| 1983.11? | 墓標 | 峠三吉 | 外山雄三 |
| 1983 | 悲しみのドーム弧響 | 高橋雅光 | |
| 1983 | 雲ものがたり | 寺井一通 | 寺井一通 |
| 1983 | 群炎Ⅵ「樹の詩」 | 熊谷賢一 | |
| 1983 | 死せる広島を偲べる哀歌 | 黒住彰博 | |
| 1983 | CHINKON-KA | 原民喜 | 細川俊夫 |
| 1983 | 八月六日 | 峠三吉 | 杉本憲一 |
| 1983 | ヒロシマの有る国で | 山本さとし | 山本さとし |
| 1984.3 | 生命 | 中島克磨 | |
| 1984.3 | 即興曲Ⅰ「カプリチオ」 | 高橋雅光 | |
| 1984.3 | ピアノソナーロ「エテルナ」 | 浅川春男 | |
| 1984.3 | 被爆者の葬煙 | 金藤豊 | |
| 1984.3 | 語り部の女 | あきたかし | あきたかし |
| 1987 | カオス | 水野修孝ほか | 水野修孝 |
| 1984.8 | 追憶の川 | 栗原貞子 | 葦原邦子 |
| 1984 | 哀歌 | 中山義徳 | |
| 1984 | 独奏曲「寂」 | 早川正昭 | |
| 1984 | ブロークン・アローの歌 | 山田かん | 園田鉄美 |
| 1984 | 無数の広島 | BIMBO | BIMBO |
| 1985.1 | Unis Vers L’uni | ミシェル・ジョナス | ミシェル・ジョナス |
| 1985.7 | 構成「平和の旅へ」 | 園田鉄美ほか | 園田鉄美ほか |
| 1985.7 | おこりじぞう | 山口勇子 | 高岡良樹 |
| 1985.7 | 太き骨は | 正田篠枝 | 中村雪武 |
| 1985.8 | ある女絵かきの詩 | 中山千夏 | 小室等 |
| 1985.8 | 花園にて | 台本:ふじたあさや | 三木稔 |
| 1985.8 | 広島レクイエム | 糀場富美子 | |
| 1985.8 | カンタータ「みどりの炎」 | 栗原貞子ほか | 外山雄三 |
| 1985.8 | オラトリオ「鳥の歌」 | 原民喜ほか | 尾上和彦 |
| 1985.8 | めぐり来る原爆の日に | 園田泰子 | 園田泰子 |
| 1985.9 | あなたへ | 夢丘薫 | 山内秀夫 |
| 1985.9 | 三つのフーガ | 寺原伸夫 | |
| 1985.10 | 交響曲第6番「HIROSHIMA」 | エドマンド・ブランデン | 團伊玖磨 |
| 1985 | 組曲「夢千代日記」 | 早坂暁 | 吉田正 |
| 1985 | 「原爆詩集」にんげんをかえせ | 峠三吉 | 黒住彰博 |
| 1985 | さくらよ | 山本奈美 | 山本奈美(補作:高田龍治) |
| 1985 | 地球のためのレクイエム | 門倉詇 | 高田龍治 |
| 1985 | ねがい | 安藤シゲ子 | 小川寛興 |
| 1985 | 八月のうた | 木下そんき |
- 関連トピック
米カーター大統領、3~4年間の核実験全面停止をソ連に提案したと発表(1977.2)
佐世保市議会、原子力船「むつ」受け入れ決定(1977.4)
NGO被爆問題国際シンポジウム開会(1977.7)
原水爆禁止統一世界大会、14年ぶりの統一大会となる(1977.8)
米国防省、核実験に参加した復員軍人30万人の放射能被曝調査を指示(1978.2)
ジュネーブでNGO軍縮会議開催(1978.2)
米、ビキニ放射能汚染から住民の強制再移住を決定(1978.4)
初の国連軍縮特別総会開催、日本から500名の代表団が2018万の核兵器禁止署名をもって参加(1978.5)
核兵器完全禁止・被爆者援護原水禁世界大会開催、長崎大会は15年ぶりの統一大会となる(1978.8)
東京都庁で初めての「広島・原爆記録展」開催(1978.10)
第1回国連軍縮週間はじまる(1978.10)
反核アニメ『ピカドン』完成(1978)
広島平和文化センター及び広島平和教育映画ライブラリー共催の原爆映画上映会開催(1979.5?)
原爆問題総合広島研究会発足(1979.7)
米、スリーマイル・アイランド原発事故(1979.3)
憲法学者ら17氏「非核三原則法案」を発表(1979.4)
米・ソ、SALTⅡ調印(1979.6)
初の国産濃縮ウランの生産開始(1979.9)
モスクワオリンピック大会にJOC不参加決定(1980.5)
パリでユネスコ軍縮教育世界会議開催(1980.6)
原水爆禁止世界大会、東京・広島・長崎で開催、SSDⅡにむけて8項目緊急行動をよびかける「東京宣言」採択(1980.8)
イラン・イラク戦争勃発(1980.9)
映画『青葉学園物語』完成(1980.11)
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が広島入りし原爆慰霊碑に参拝(1981.2)
日本原子力発電敦賀1号機原子炉から放射能漏れ(1981.3)
米原潜、東シナ海で当て逃げ、日昇丸沈没(1981.4)
広島平和記念館が原民喜の没後30周年回顧展(1981.7)
レーガン大統領、中性子爆弾製造を決定(1981.8)
ドイツ、ボンで反核集会(1981.10)
SSDⅡにむけて、核兵器完全禁止と軍縮を要請する国民運動推進連絡会議発足(1981.11)
文学者287名が「核戦争の危機を訴える文学者の声明」を発表、以後、美術家、音楽家、写真家、演劇人らの反核声明あいつぐ(1982.1)
10フィート運動の入手フィルム、広島で初公開(1982.1)
映画『ヒロシマ・ナガサキ—核戦争のもたらすもの—』完成(1982.3)
「平和のためのヒロシマ行動」に20万人が参加(1982.3)
「反核・日本の音楽家たち」が東京で総会(1982.3)
第2回国連軍縮特別総会開催(1982.6)
コンサート「反核・日本の音楽家たち」開かれる(1982.6)
核戦争映画『ザ・デイ・アフター』公開(1983.11)
ノーベル平和賞のマザー・テレサ、広島市訪問(1983.11)
カール・セーガン「核の冬」を警告(1983.12)
『ヒロシマ・ナガサキ—核戦争のもたらすもの—』ビデオ版完成(1984.7)
広島市議会、「核兵器廃絶広島平和都市宣言」を全会一致で決議(1985.7)
第1回世界平和連帯都市市長会議が広島市で開幕、海外22カ国64都市、国内31自治体の市長ら代表200人が参加し、国境を越えて市民連帯を討議(1985.8)
被爆40周年平和祈念式海外から49社の報道陣が8・6式典など取材(1985.8)
「愛と平和」をテーマに第1回国際アニメーションフェスティバル広島大会開催(1985.8)
「核戦争を防ぐための国際医師会」がノーベル平和賞受賞(1985.12)
- 概要(『ヒロシマと音楽』から)
この時期は、前の時期に分裂した原水爆禁止運動が再統一され、国連への核兵器禁止要請署名運動が始まった時期である。また、社会的には、被爆体験の国際化が指摘されているが、音楽の分野でもそのような傾向を顕著に見ることができる。例えば、英国の詩人、エドモンド・ブランデン(元オックスフォード大学教授)の「ヒロシマ1949年8月6日に寄せて」という詩を合唱曲にしてほしいという広島市からの要望にこたえて、英国の王室付作曲家マルコム・ウィリアムソンが作曲し、それを広島の児童合唱団が初演している。ブランデンは駐日英国大使館教育顧問として来日中、1948年に広島を訪れ、目に焼きついた印象を詩に託し、同49年広島市に寄贈している。寿岳文章により「ヒロシマよりも誇らしき 名をもつまちは 世にあらず」と翻訳されたこの詩は、すでに山田耕筰や地元エリザベト音楽大学のホセ・テホン元学長の手によっても作曲されている。テホン元学長の作品は、1981年2月に広島を訪れたローマ法王ヨハネ・パウロ二世からの要請で実現したもので、同大学の定期演奏会で披露された。また、広島市に寄贈されたまま13年間眠り続けていたドイツの作曲家フォレストのオペラ《広島の花》が、地元の演奏家の力で初演されたり、イタリアの指揮者アバドが、ベルリオーズの《幻想交響曲》の録音に際して、終楽章に広島の式典で用いられる「平和の鐘」を使用したのも話題をまいたところである。米国の著名な指揮者バーンスタインが、被爆後40年にあたる1985年、14カ国の音楽家、楽団員400名とともに広島を訪れ、自作の交響曲第三番《カディッシュ》や糀場富美子作曲の〈広島レクイエム〉などを演奏して、自らの音楽家としての信念を明確に示したことも忘れられない。同氏はアテネ、ブタペスト、ウィーンでも同様のコンサートを企画し、一連の旅を自ら「祈りの旅」と称している。
さらにニューヨークでは、第2回国連軍縮特別総会を前にして、反核・軍縮を訴える音楽祭「日本の音楽の夕べ」が開催され、〈原爆を許すまじ〉を初めクラシック、ポピュラー、邦楽などの原爆音楽が演奏されている。ただし、そのとき報じられたアメリカ人が会場に少なすぎるという実態はどう捉えればよいのであろうか。軍縮総会に刺激され、自ら室内楽を結成して平和コンサートを開いたジュリアード音楽院教授のピアニスト、井上和子も自らの人脈を頼って、個人レヴェルで原爆音楽の紹介に努めている。このシリーズは後数回続くが、この会ではアメリカの作曲家デヴィッド・ローブの《琴とバイオリン、ピアノのための三曲》が初演された。そのほか、栗原貞子の詩に、ドイツ人のツィマーマンが曲をつけた〈ヒロシマというとき〉が広島で初演されたり、日本語の反核ソング〈無数のヒロシマ〉がインドネシアで流行したり、アメリカのフォーク歌手シャーリン・ゲッディスが作詞作曲した〈ヒロシマ〉〈二度と再び〉が披露されたりしている。これらは一様に国際的広がりの中で反戦、反核、平和を訴え、ヒロシマの心を世界に発信するねらいを持つ点で共通している。
この時期にも新作が相次いで登場している。中でも大きな話題をまいたのは、オペラ《はだしのゲン》の広島・沖縄公演の成功である。中沢啓治原作、清水高範台本、保科 洋作曲による二場六幕のオペラは、被爆都市としての広島の印象を強くアピールすると同時に、子供から大人まで理解しやすい平易な内容で大きな成功をもたらした。これに続いて東京では、《おこりじぞう》がオペラ化され話題をよんでいる。
そのほか注目すべき作品として、林光の《新原爆小景》、尾上和彦のオラトリオ《ヒロシマ》、本間雅夫の《八月の歌》シリーズ、などが挙げられる。尾上の作品は峠三吉、林の作品は、前シリーズ同様、原民喜の原爆詩に基づいている。
地元広島の音楽活動としては、前の時期に始まった「広島平和音楽祭」が中央からポピュラー界、クラシック界の大物スターたちを呼んで順調に回を重ねている。毎回テーマを決め、一般から歌詞を公募して賞を贈るなど、企画も凝っており、多くの聴衆を魅了したのもうなずける。このシリーズから新作が次々と生まれ、後々歌い継がれているものも少なくない。故芝田進午を代表とする「原爆犠牲者にささげる音楽の夕べ」もこの時期に始まっている。こちらの方は原爆音楽の系統的な紹介が大きな特徴で、ようやく原爆音楽に対する意義が明らかにされ、学究的な取り組みが始まったといってもよい。一方、東京では、芥川也寸志の呼びかけによる「反核・日本の音楽家たち」というコンサート・シリーズが始まっている。邦楽、クラシック、ポピュラーの分野にわたる幅広い原爆音楽が紹介されているが、広島でも「広島国際平和コンサート」という名称で開催された。
第五期(1986~95年)
| 発表 | 曲名 | 作詞者 | 作曲者 |
| 1986 | 祈りの舟 | 石本美由起 | 吉田正 |
| 1986 | 組曲「ノーモア・ヒロシマ」 | オルガ・クチノッタ | |
| 1986 | 原爆で死んだ幸子さん | 栗原貞子 | 中村雪武 |
| 1986 | 祈りの曲第3「広島の詩」 | 川崎優 | |
| 1986 | 合唱組曲「いのちのあゆみ」 | 浅尾忠男 | 大西進 |
| 1986 | 祈りも哀し | 藤哲生 | 越智三郎 |
| 1986 | グロリア | ウーヴェ・ロアマン | |
| 1986 | 無伴奏チェロ組曲 | 尾上和彦 | |
| 1986 | 生きてこの世にある限り | 田村和男 | 佐伯金次郎 |
| 1986 | 広島原爆犠牲者への献呈 | D.ステファニーデス | |
| 1986 | 平和行進曲 | 石倉喜代道 | 池田祐孝 |
| 1986 | 青い閃光 | 草間透 | 本間雅夫 |
| 1986 | あの星はぼく | 名越操 | 木下航二 編曲:高田龍治 |
| 1986 | 新しい朝の出発に | 名越操 | 高田龍治 |
| 1986 | デルタ交響詩 | 米田栄作 | 吉田盈照 |
| 1986.11 | 合唱組曲「川よ とわに美しく Part 2」 | 米田栄作 | 三枝成彰 |
| 1987.9 | わたしの希望 | 夢丘薫 | 山内秀夫 |
| 1987 | 折鶴(戦争と平和) | 浅川春男 | 浅川春男 |
| 1987 | 八月の | 山田数子 | 宗像和 |
| 1987 | 被爆者の想い | 出井知恵子 | アレキサンダー・ラパポート |
| 1987 | 原爆忌 | 浅野逍風 | アレキサンダー・ラパポート |
| 1987 | ヒロシマ・ナガサキからのアピール | 提唱推進協議会起草 | 高田龍治 |
| 1987 | HELP OUR CHILDREN | James Barrow | James Barrow |
| 1987 | 生命の木、空へ | 林光 | 林光 |
| 1987.5 | 合唱組曲「石の焔」 | 清水亨太郎、小園愛子、大岡信、米田栄作 | 遠藤雅夫 |
| 1987 | ヒロシマという名の少年 | 武満徹 | |
| 1987 | 水 第二 | 宗像和 | |
| 1987 | 地球の夜明け | 斎藤範雄 | 熊谷賢一 |
| 1987 | 子どものための音楽劇「かあさんのうた」 | 関山昭子 | 大西進 |
| 1987 | PEACE WAVE | 橋本のぶよ | 松永勇次 |
| 1987 | WOW WOW WOW | 松井五郎 | 玉置浩二 |
| 1988 | 螢の家 | 宮川泰 | |
| 1988 | 永遠のみどり | 原民喜 | 助川敏弥 |
| 1988 | ぼくたちはヒロシマの鳥 | 土屋清 | 高田龍治 |
| 1988 | 君を守りたい | ピースバード・オールスターズ | |
| 1988 | メッセージⅡ | 峠三吉 | 髙嶋みどり |
| 1989 | 独奏曲「八月の修羅」 | 早川正昭 | |
| 1989 | ヒロシマ・レクイエム | 細川俊夫 | |
| 1989 | 黒い雨 | 中村栄 | 金光威和雄 |
| 1989 | 庭うるしの花 | 石井しげお | 藤沢一三 |
| 1989 | ドームのうた | 石井しげお | 大西進 |
| 1989 | 広島山河 | 福富康 | 佐藤正二郎 |
| 1989 | 世界の命=広島の心 | 原田東岷 | 藤掛廣幸 |
| 1989 | みんなの指で字をかこう | 岩田宏 | 園田鉄美 |
| 1989 | 映画『黒い雨』葬送音楽 | 武満徹 | |
| 1989 | 核の恐怖 | アリス・クーパー | |
| 1989 | 正義の味方 | ピースバード・オールスターズ | |
| 1989 | 核の再生 | ヴァンゲリス | |
| 1990 | ドームの日陰 | みちわたる | 岩見和夫 |
| 1990 | 愛のコスモス | みちわたる | みちわたる |
| 1990 | 広島不虚 | 米田栄作ほか | 黒住彰博、永井主憲ほか |
| 1990 | おこりじぞう | 山口勇子 | 高田龍治 |
| 1990 | 1945年の彼方に | THE KIDS | |
| 1991 | 住吉さん | 峯陽 | 糀場富美子 |
| 1991 | ふるさと・広島 | みちわたる | みちわたる |
| 1991 | 祈り | 金藤豊 | |
| 1991 | 水 第三 | 宗像和 | |
| 1991 | 水 第四 | 宗像和 | |
| 1991 | 群炎Ⅴ「祈りと希望」 | 熊谷賢一 | |
| 1991 | 炎 | 飯泉昌子 | 中山義徳 |
| 1991 | HIROSHIMA | 加藤登紀子 | 加藤登紀子 |
| 1991 | とうろう流し | 峯陽 | 糀場富美子 |
| 1991 | 小倉・長崎の子守歌 | 六角彰 | 六角彰 |
| 1991 | ヒロシマの千羽鶴 | 田村和男 | 佐伯金次郎 |
| 1991 | ヒロシマは碑のまち | 田村和男 | 佐伯金次郎 |
| 1991 | ナガサキのまなざし | 山本さとし | 山本さとし |
| 1992 | 水 第五 | 宗像和 | |
| 1992 | ヒロシマのレクイエム | 大江光 | |
| 1993 | 水 第六 | 宗像和 | |
| 1993 | 合唱組曲「にのしまは」 | 大野充子ほか | 大西進 |
| 1993 | 虹よ永遠に | 橋爪文 | 中村雪武 |
| 1993 | 広島の空 | さだまさし | さだまさし |
| 1994 | 陽だまり | 久保たかし | 久保たかし |
| 1994 | 八月には黒い羽根を | 長谷川敬 | 藤井修 |
| 1994 | あさがお | 佐々木淑子 | 安藤由布樹 |
| 1994 | 合唱組曲「くすのきの詩」 | 園田鉄美、つだけいこ | 園田鉄美 |
| 1994 | エレジー・サダコ | 豊田清史 | F.ザリツカヤ |
| 1994 | いのちかがやいて | 石本美由起 | あきたかし |
| 1994 | 交響曲「ひろしまのピカ」 | ホルヘ・サルミエントス | |
| 1994 | お爺ちゃんの銀時計 | はらみちを | 北林康彦 |
| 1994 | みんなみんなみんな | 金子太一 | 藤村記一郎 |
| 1994 | 風花 | 門倉詇 | 高田龍治 |
| 1994 | ユカタの少女 | 田村和男 | 佐伯金次郎 |
| 1995 | 八月の歌Ⅷ | 青木渡 | 本間雅夫 |
| 1995 | 私のひろしま | 山内秀夫 | 板谷隆 |
| 1995 | 悲しくて透明になった音楽 | 久留智之 | |
| 1995 | ヒロシマに捧げる即興曲 | 坂田明 | |
| 1995 | ひろしまから始めよう | 筧章男 | 原田真二 |
| 1995 | 交響詩「広島・太田川によせる三章」 | 伴谷晃二 | |
| 1995 | 愛 | 佐々木淑子 | 安藤由布樹 |
| 1995 | 夏の散乱 | 三善晃 | |
| 1995 | Fanfare for Hiroshima | 池辺晋一郎 | |
| 1995 | 繰り返さないで | ホセ・ベゲロ | アリシア・バローニ |
| 1995 | ヒロシマ | ホセ・ベゲロ | アリシア・バローニ |
| 1995 | ヒロシマは祈りの言葉 | 高野太郎 | |
| 1995 | ヒロシマ―忘れえぬ町 | ユパンキ(補:大竹史朗) | 大竹史朗 |
| 1995 | ひろしま希望の鐘 | 橋本勇夫 | |
| 1995 | 広島の空にむかって | 宮川義雄 | 宮川義雄 |
| 1995 | 白い道・黒い雨 | マル・ウォルドロン | |
| 1995 | 長崎の祈り | 峯陽 | 中島はる |
| 1995 | 平和讃歌 |
- 関連年表
チェルノブイリ原子力発電所で炉心溶融事故(1986.4)
レーガン米大統領、日米開戦日を真珠湾追悼の日とすると宣言(1986.12)
ソビエト、核実験を停止(1986、翌年再開)
米・ソ、中距離核戦力全廃条約に調印(1987.12)
ソビエト、クラスノダール原発の建設を中止(1988.1)
原爆資料館の入館者が通算3000万人を突破(1988.2)
福島第2原発で破損事故(1989.1)
「昭和」から「平成」と改元(1989.1)
映画『ヒロシマ・母たちの祈り』完成(1990.3)
湾岸戦争勃発(1990.8)
東西ドイツ統合(1990.10)
ソビエト連邦消滅(1991.12)
関西電力美浜原子炉で破断事故発生(1991.2)
原爆資料館の東館オープン(1994.6)
阪神淡路大震災(1995.1)
米スミソニアン博物館の原爆展中止(1995.1)
被爆50周年「ヒロシマと音楽」コンサート開催(1995.8)
フランス、ムルロア環礁で地下核実験(1995.9)
福井県敦賀市の高速増殖原型炉もんじゅでナトリウム漏れ事故発生(1995.12)
「ヒロシマと音楽」実行委員会発足(1995)
- 概要(『ヒロシマと音楽』から)
被爆40周年には内外で大きな音楽的催しが目立ったが、その後も国際化の傾向はますます加速する。前の時期と違う点は、被爆という問題が広島や長崎の特殊現象としてだけでなく、人類共通の問題として認識され始めたことである。その背景には、1986年のチェルノブイリ原発事故などがあって、より身近なところで生命の危険を再認識させられたことも否定できない。音楽でも、広島という壁を越えた幅広い国際的な広がりを見ることができる。93年には、ロシアからキリーロビッチが民族楽器バヤーンを携えて、広響の「平和コンサート」に登場した。協演した曲目はダニーロビッチが87年、原発事故と人間の闘いをテーマにして作曲した《シンフォニー・ロブスター》で、ヒロシマの願いをはっきりと確かめることのできる意義深いコンサートであったといえよう。佐々木貞子さんを悼む哀歌〈エレジー・サダコ〉がロシアと日本の合作で作られたのも興味深い。
この時期には、地元のオーケストラ広島交響楽団の活躍が目立っている。1991年にはウィーン公演が実現し、中国地方唯一のプロ・オーケストラとして足場を確かなものにしている。翌年にはポーランドの作曲家ペンデレツキが来広し、広島交響楽団を相手に自作の〈ヒロシマの犠牲者への哀歌〉を指揮している。また、ナチスの犠牲になった少女を歌い一躍名をはせたポーランドの作曲家ヘンリク・グレツキの交響曲第三番《悲歌のシンフォニー》の広島初演を果たしたのも広島交響楽団である。この広響定期にはチャイコフスキーの交響曲第三番《ポーランド》も演奏され、愛と平和をテーマにしたコンサートの締め括りに相応しいものであった。
地元オーケストラの活動に象徴されるように、この時期の国際化では、広島の演奏団体の海外進出が目立っている。崇徳高校グリークラブは、米国、ニューヨーク市にあるカーネギーホールで公演を行い、峠三吉の詩による〈ヒロシマ〉[おそらく髙嶋みどり《メッセージⅡ》の誤り]などを演奏して、平和のメッセージを歌で伝える役割を果たした。
この時期に広島を訪れた音楽家たちに、ヒロシマを意識した曲目や発言が相次いできたのも大きな特色である。フランスの代表的なシャンソン歌手ジャクリーヌ・ダノはレパートリーに〈ヒロシマ〉を入れているし、指揮者シノーポリは、公演を前にして「音楽は文化であり、文化の創造というのは、人間が存在する理由について考え続けることだと思う」と述べている(中国新聞、1988年10月1日)。
この時期にもかなりの原爆作品が作曲されている。遠藤雅夫の合唱組曲《石の焔》、細川俊夫の《ヒロシマ・レクイエム》、林光の《生命の木、空へ》、フランス人フェリェ・ジョルダンの《レクイエム(嵐)》、地元からは小玉好行の《撫子》などがある。小玉好行の作品は、疎開先の子どもと親との手紙のやりとりで構成され、当時の状況を知る貴重なドキュメントとしての価値も持っている。
第六期(1996~2005年)
| 発表 | 曲名 | 作詞者 | 作曲者 |
| 1996 | 広島へ | 三浦錦 | 熊谷賢一 |
| 1996 | ヒロシマの鐘 | 田川 | |
| 1996 | 絃の声 | 佐伯優、沢井忠夫 | |
| 1996 | ひろしま希望の夜明け | 橋本勇夫 | |
| 1996 | お弁当箱 | ひらのりょうこ | 小林明 |
| 1996 | 永遠の誓い | 成瀬左千夫 | 寺西敏雄 |
| 1996 | 虹の民 | 訳:山ノ木竹志 | ピート・シーガー |
| 1997 | 合唱組曲「妻よ子よ」 | 萩原忠重 | 喜納政一郎 |
| 1997 | トクちゃんとシロ | はらみちを | あきたかし |
| 1997 | 折り鶴 | 工藤イト | 森川睦巳 |
| 1997 | 風よとどけて | 長田純一 | 長田純一 |
| 1997 | 憶えています | 今正秀 | 高田龍治 |
| 1997 | FROM HIROSHIMA | HAGGY | HAGGY |
| 1997 | つぶやき | 植野洋美 | 植野洋美 |
| 1998 | いのちかがやいて | 石本美由紀 | あきたかし |
| 1998 | アルドリメールヒロシマ | 訳:三澤純 | 高田龍治 |
| 1998 | 音楽物語「撫子」 | 小玉好行 | |
| 1998 | 家なき子のクリスマス | 原民喜 | 宗像和 |
| 1999.7 | 広島の悲しみと祈り | 峠三吉・皆田正明 | 皆田正明 |
| 1999 | ひまわりは何をみた | はらみちを | あきたかし |
| 1999 | 水と詩 | 伴谷晃二 | |
| 1999.12 | 合唱組曲「長崎小景」 | 峯陽 | 中島はる |
| 1999 | 失わざるべき記憶 | 飯島俊成 | |
| 2000 | 平和の鐘を鳴らそう | 皆田正明 | 皆田正明 |
| 2000 | We Love Peace And Earth | 山上茂典 | 山上茂典 |
| 2000 | 未来の風 | 松村春菜 | 松村春菜(編曲:大島ミチル) |
| 2001.10 | Hyper requiem | 徳永崇 | |
| 2001 | 夏の響き | 橋爪文 | 中村雪武 |
| 2001 | アオギリ | 藤田真 | 藤田真 |
| 2001.8 | 永遠のみどり | 原民喜 | 林光 |
| 2001.11 | 広島の歌 | ||
| 2001 | ヒロシマそして終焉から | 秋吉敏子 | |
| 2001 | 構成劇「一九四五年八月六日」 | 峠三吉 | 三枝成彰 |
| 2002 | あなたに会えるまち | 和多田さち子 | 皆田正明 |
| 2002 | ねがい | 大洲中学校3年有志・編:山ノ木竹志 | 高田龍治 |
| 2002 | 希望の灯 | 訳:山ノ木竹志 | I.ウィリック |
| 2002 | 組曲「島」 | 近藤浩平 | |
| 2003 | かえってきたつりがね | 山上茂典 | 山上茂典 |
| 2003 | Poison Mushroom | 藤倉大 | |
| 2004 | 碑 | 半田亨雄(信司) | 冬木透 |
| 2004 | おりづる | 藤井園子 | |
| 2005 | 広島の原爆犠牲者に捧ぐ | ウーヴェ・ロアマン | |
| 2005 | 未風化の七つの横顔 | 糀場富美子 | |
| 2005 | ちちをかえせははをかえせ | 峠三吉 | 横井久美子 |
| 2005 | ひろしまの夏 | 神戸美和子 | 五十嵐健作 |
| 2005 | ヒロシマ・声なき声 | 細川俊夫 | |
| 2005 | 被爆アオギリ百万本 | あきたかし | あきたかし |
| 2005 | いのちをかけて | 武藤昌代・藤村記一郎 | 藤村記一郎 |
| 2005.8 | ヒロシマ・ナガサキへのボレロ | 園田鉄美 | モーリス・ラヴェル |
| 2005 | ANSWER | Metis | Metis |
| 2005 | ピコ・ワールドⅡ | 植野洋美 | |
| 2005 | 原爆忌 | 多田富雄 | 多田富雄 |
| 2005.5 | 起点 | 木島始 | 信長貴富 |
| 2005 | 歌曲集「魔のひととき」 | 原民喜 | 金光威和雄 |
- 関連トピック
広島の原爆ドームがユネスコの世界遺産に指定される(1996.12)
東海村の動力炉・核燃料開発事業団で火災・被曝事故(1997.3)
日本、CTBT(包括的核実験禁止条約)を批准(1997.7)
インド、核実験(1998.5)
パキスタン、地下核実験(1998.5)
敦賀原発で一次冷却水漏れ事故(1999.7)
東海村で臨界事故(1999.9)
ドイツ、原発の廃止を決定(2000.6)
映画『核のない21世紀を』完成(2001.2)
「ヒロシマと音楽」実行委員会解散(2002.3)
「ヒロシマと音楽」委員会発足(2002.11)
- 概要(『ヒロシマと音楽』から)
この時期の活動として、手前味噌ではあるが、まず被爆50年を契機に始められた「ヒロシマと音楽」実行委員会の活動を挙げなくてはならないだろう。中国放送の支援を得て、学識経験者、広島市諸機関の関係者、中国放送のスタッフで構成された実行委員会は、二つの大きな目的を掲げることになった。ヒロシマに関わる音楽のデータベース化とそれらの音源化である。データベースの作成は、既存のリストをベースにして、多方面にわたる原爆音楽の掘り起こしを行い、作曲者や演奏者の手元で眠り続けている未登録のデータを収集し、順次リストアップしていく作業で、困難を極めるものであったが、2002年の実行委員会の解散時には約1800曲を登録することができた。一方の音源化の作業も、毎年コンサートを開催し、新旧のヒロシマに関わる音の収録を行ってきた。この委員会は、その後民間の有志による「ヒロシマと音楽」委員会に受け継がれ、音源化の仕事は終えることになったが、データベース化の作業は継続され、2004年当初の念願でもあった広島市への寄贈が実現し、1867曲の資料が広島平和文化センターに引き渡された。これによりこれまでの仕事は一応終止符を打つことになった。「ヒロシマと音楽」のデータベースは、これまでも中国放送のホームページから検索することができたが、今後は広島市の「平和データベース」のホームページ上から容易に検索が可能となり、音源や楽譜の有無、所在等を確かめることができるようになった。これまで情報を手に入れにくかった一般の音楽愛好家や演奏家にとって朗報となるであろうし、適切なものは教材として検討することも可能となった。
ところで、前の時期に確認された国際化の傾向はますます拡大すると同時に、市民レヴェルでの活動なども加わって、いっそう一般化、大衆化の傾向をみせていく。60周年を迎えた2005年の地元の新聞をめくってみても、米国(シアトル)、ドイツ(ベルリン)をはじめ、これまで見られなかったドミニカ共和国やウルグアイなどでもヒロシマの歌が響き渡っている。一方、広島では8月6日を中心に、大小さまざまなコンサートが催され、枚挙に暇がないほどである。出演層も子どもから大人まできわめて幅が広い。目に付くものを挙げてみると、「ヒロシマの響き~未来への追憶」(7月6日)、「被曝60周年を悼む コンチェルト スピリトゥアーレ」(7月16日)、「平和教育プロジェクト〈スレノディ〉演奏会」(マリー・シェファー作曲 7月30日)「慰霊の夕べコンサート」(8月5日)、PEACE MUSIC WORLD(8月5日)、「広島平和コンサート2005」(佐渡裕ほか8月6日)、「ヒロシマ60」(8月6日)、「南こうせつin世界平和祈念聖堂」(8月7日)、「林光・東混~八月のまつり」(8月6日)、「平和コンサート 6人のチェロの響き」(8月6日)、「広島観音高校音楽部OB合唱団祈念コンサート」(8月7日)、「ピカドン竹やぶ」(はらみちを作 8月7日)「No More War~愛の祈り」(高校生バンド8月14日)、「被爆60周年を祈念して~七つの川から七つの海へ」(9月19日)、「世界へおくる平和のメッセージ」(小澤征爾ほか 10月21日)、「日本のうたごえ祭典 in ひろしま」(11月4日~6日)など。これらのコンサートで取り上げられる曲は、新・旧のいわゆる原爆音楽のほか、音楽史上の鎮魂や平和に因んだ名曲が選ばれている。これらの中で広島出身の作曲家、細川俊夫が音楽監督を務めた「ヒロシマの響き」では、芥川也寸志の《黒いオルフェ》(広島初演)と自作の《ヒロシマ・声なき声》(本邦初演)が演奏され注目された。作曲者による研ぎ澄まされた祈りのメッセージはもとより、広島交響楽団と地元の演奏陣の奮闘もあって、原爆作品の質の高さが証明されたといっても過言ではないだろう。「慰霊の夕べコンサート」では、ドイツの作曲家ウーヴェ・ロアマンの〈ヒロシマの原爆犠牲者に捧ぐ〉が世界初演された。佐渡裕が広島交響楽団と世界の若手演奏家で編成する管弦楽団を指揮した「広島平和コンサート2005」では、女優の吉永小百合のほかチェリストのマイスキーなど内外の有名演奏家が出演し、故バーンスタインの交響曲《カディッシュ》、〈広島平和の歌〉などを演奏した。この模様は放送メディアを通して全国に中継され、多くの人々の間で「ヒロシマと平和」というキーワードを共有することができたと思われる。同じことは「世界へおくる平和のメッセージ」でフォーレの《レクイエム》を指揮した小沢征爾のコンサートでも言うことができる。平和イベントと称するこのコンサートは早くからの宣伝効果もあってか、大会場のチケットがまたたくまに売り切れとなってしまった。小澤は言う。「われわれが死に絶える前に、薄れ行く原爆の記憶と平和の祈りをこれからの命に伝えたい」と。これらのコンサートは、有名人によるイベント的側面をもっているが、音楽によるメッセージは確実に聴衆の心を揺り動かしたはずである。このような話題性の多いコンサートのほかに、一貫してヒロシマにこだわり続け、原爆音楽活動の幹になっている作曲家や演奏団体も多様化しつつある。バンドによる平和ライブを試みる高校生は「自分たちのスタイルで多くの人に平和を訴えたい」と主張する。被爆60年の夏、ドイツで追悼演奏会の企画構成にかかわったペーター・ハウバーは、「音楽で人道的な心を開き言葉でメッセージの意図を伝える」と述べている。永井博士の著作から暗示を受けて「スレノディ」を作曲したカナダの作曲家、マリー・シェーファーは、60周年の記念日を前に広島を訪れ、「音楽を通じ、惨事を乗り越えて平和に生きることを祈りたい」と訴える。
第七期(2006年~)
[改定作業中]