原爆を許すまじ
曲名
原爆を許すまじ
Never Again The A-Bomb(英訳詞)
原爆を許すまじ・組曲
原爆を許すまじによる変奏曲
関連作品
赤堀文雄編曲《原爆を許すまじオーケストラ》
林光編曲《交響組曲「青年の歌」》
広島合唱団、われらのうたの会《原爆を許すまじ・組曲》(1955.4)
木下そんき編曲(1978.3)
外山雄三《原爆を許すまじによる変奏曲》(1980.8):「原爆を許すまじ」をテーマとする変奏曲で、弦楽四重奏曲。
外山雄三編曲(1981.8)
高橋雅光《原爆を許すまじのテーマによる三重奏曲》(1988)
ホルヘ・サルミエントス《交響詩「ひろしまのピカ」》(1995):原爆をテーマとした絵本を基に作られる。「原爆を許すまじ」の旋律、また朗読の使用。
作詞者
浅田石二
作曲者
木下航二
編成
合唱
発表
発表日:1954.7.28 音楽センター「第7回定期演奏会・平和歌曲の夕べ」
演奏者:中央合唱団
楽譜・音源
備考
第5回世界青年平和友好祭(1955年8月)の国際文化コンクール作曲部門で第二位。
「原爆を許すまじ」は大井町若竹青年会で知り合った浅田石二、木下航二の二人により1954年7月に作られ、同年7月28日音楽センター「第7回定期演奏会・平和歌曲の夕べ」で発表され、歌唱指導された。それ以来急速に広まるが、とくに同年8月6日広島で第1回「国鉄のうたごえ」が開かれた際、全国から集まった国鉄サークル員に、宿舎で、中央合唱団員安田らが精力的に歌唱指導し、それを国鉄サークルが全国に持ち帰ったところから全国的に広がり、当時の原水禁署名運動の盛り上がりとあいまって爆発的に普及した。早くも8月29日の関西平和まつり(扇町プール)では4万5000人により大合唱された。9月、久保山さんの死に際しては期せずして追悼の歌となり、10月9日の静岡県漁民葬は「原爆を許すまじ」のコーラスに送られた。同年11月27~29日の「1954年日本のうたごえ」祭典では1万5000人によって全員合唱され(指揮井上頼豊)、1955年4月23・24日の春の大音楽会(日比谷外音楽堂)では交響組曲「青年の歌」の中でオーケストレーションされて演奏された。(林光編曲・芥川也寸志指揮・東京交響楽団演奏)同年7月7~10日スイス・ローザンヌで開かれた世界母親大会でも歌われたが、8月ワルシャワ・フェスティバルに参加した小野光子以下のうたごえ代表団は、ピース譜(英訳とローマ字による日本語の歌詞つき)を配りながら各国青年に歌唱指導し、8月6日広場での全員合唱(指揮関鑑子)となった。フェスティバルの創作コンクールでこの歌は二位となった。同じころ、広島で開かれた第一回原水禁世界大会では平和記念式典はじめ随所で歌われたが、第1日(6日)夜の平和広場での催しでは3万人によって合唱され、最終日(8日)の会議場では2600人の内外参加代表によって全員合唱された。(共に指揮木下航二)第2日(7日)の分散会第3会場(本川小)ではこの歌を国民歌とするという動議が満場一致で可決されている。(あゆみ出版『原爆を許すまじ・世界の空へ』)

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