ヒロシマ―忘れえぬ町

ヒロシマ―忘れえぬ町

今春、広島市において、アタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)の生誕100年を記念するスペシャル・コンサートを現在計画中です。
ユパンキは生前、広島を心から愛し、一遍の詩を書き残しました。
そしてその詩に出会ったおかげで、私は音楽家として光のあたるところに出ることができたのです。
1992年11月12日、実際に広島とはなんの縁もゆかりもない私のためにかの地のみなさんが開いてくださったコンサートは、それは本当に素晴らしく、華々しいものでした。
原爆ドームをバックにした、息を呑むような美しいユパンキの写真(上)は、その際のコンサート・プログラムの表紙です。

【中略】

今年がユパンキにとっての記念の年だから、”ぜひそのときのために”というつもりでこの歌を温存していたのではありません。
私にしてみれば、生誕93年であろうが100年であろうが101年であろうが、同じように心の中にいつもユパンキがいて、そしてこの歌が鳴り響いているのです。
言ってみればそれは、いまもどこかで見守ってくれていると信じているユパンキが、”おまえ、そろそろヒロシマやってみたらどうだ?”と言っている声が聞こえたような、そんな気持ちが自分のなかに渦を巻きだし、それが流れとして今回のコンサートに結びついたということでしょうか。
“こんなに素敵な人々に支えられて生まれた歌を、なんでやめてしまったのか。なんという恩知らずな男だ。”と言われてしまいそうですね。
私もこれらの写真を久しぶりに見返して、ほんとうにそう思います。
私は、ニューヨークをとおして南米を学び、そして南米をとおして日本を学びました。
1988年の8月1日、もしあの日日本を飛び出していなければ、おそらくいまのような世界観をもつことは決してできなかったでしょう。
国境と時空をこえた、いろいろな人々の思いと尽力が生み出したこの’ヒロシマ-忘れえぬ町’。
私はいま、ふたたび心を込めて演奏するつもりでいます。
ユパンキ生誕100年記念の今年は、私にとって渡米20年記念にあたります。

http://shiroelarriero.com/2008/01/206/1000/

http://shiroelarriero.com/1992/11/15/

92年に、ユパンキが書いた詩に作曲をした ‘ヒロシマー忘れえぬ町’に対してユパンキ本人から正式な演奏許可をいただきました。
それを受けて広島の方々が、ニューヨークに渡った私を4年ぶりに帰国させてくれた、記念すべき日本でのデビューコンサート。
1992.11.12 ゲバントホール
http://shiroelarriero.com/1992/11/14/

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